一般就労の現実~息子の場合

退職してからもう5年が経過したので、そろそろ時効でしょうか?
母の気持ちも、もうそこに戻されることはなくなったので、少し書いておこうと思います。

息子は高等部を卒業後、一般就労した期間が1年4ヵ月あります。
その様子については、以前の投稿で書いていますが、退職に至った経緯を残しておきます。

これは、その時、父親が書いたものです。

〇〇(息子)の雇用に関する案件の経緯報告
61()1200頃 妻より今ほど職業センター担当から連絡があり、〇〇の世話をしている嘱託の方が7月で退職するので監督するものが居なくなる為同時期にやめて欲しい旨、㈱●●様(会社)よりお話があった由と電話を受ける。 
・同日 雇用側の一方的な解雇通告は、1年間の契約雇用とはいえその期間途中になされることは被雇用者に余程大きな過失があったという事実がない限り断じて出来ない。
 私がこの旨をセンターの方に電話にてお伝えする。
 センターの担当カウンセラーの方から折り返しの電話のなかで、あらためて会社に来られてもこの考えは変わらないと支店長の方から電話でのやり取りのなかで直接聞いた旨報告を受ける。会社の方針および障碍者雇用促進に対する考え方がその程度であるならば、その職場環境のなかで働かせる事は、〇〇にとって非常に辛いものとならざるを得ない。
 612()18:00頃 担当カウンセラーの方から電話にて、センターはこの間に、ハローワークの担当の方と一緒に会社訪問をして話し合いを持ったが、先の考えと変化がない旨の報告をうけた。であるならば、会社に解雇にあたる理由を社印押印済の文書にして提出いただく事と雇用残存期間分の給与保障をしていただく旨お伝え下さる様お願いする。
 618()18:00頃 勤務先が職業センターに対し雇用継続の意思を示してきたとのこと。職業センターから派遣されたジョブコーチの成果が、なってないから今回の事態を招いたという手のひらを返すような発言。また、会社から当方へ直接連絡をとり今後のことについて話し合いを持つのでセンターの介入もういいですという事なので、担当の方は、会社からこの様に云われたからには、今後センターから話す事は出来なくなったとの由。
・同日16:00頃 〇〇が卒業した学校の教頭先生から電話連絡をいただく。現況の就業状態が思わしくないとの連絡を受け心配しているとのこと。□□特別支援学校におられる、前進路指導の先生より、会社から障碍者の労働支援は、可能かとの問い合わせがあったとのこと。
 これ以降、現進路指導の先生が会社とセンターへ現状確認の連絡を入れる。双方の
内容は、全く相反するものであったとのこと。
 621() 18日以降、会社からの連絡が一向にないので市の知り合いを通じ、今までの経緯を障害福祉課長に説明。市担当職員から確認の電話があり、妻より再度経緯を報告。市と職業センターが協議した結果、今週いっぱい待って会社から連絡が無い時は、ハローワークから指導を入れるとの回答をいただく。
 ・同日18:30頃 会社の支社長の携帯TELから我が家へ初めての今案件に関する直接連絡をいただく。パートさんのまわりを始終うろついて困った(困っている?)と一言あって、本題の話し合い日時を告げてきた。625()10:00に会社へ訪問されたしとのこと。何故、いまさら5月にセンターが指導に入った事項を言ってきたのか理解不能。本件と密接な関連性があるということか?
622()15:00頃 職業センター担当カウンセラーの方の都合により、話し合い日時を26()に変更となったことが記載された連絡帳を〇〇が持ち帰る。

その後、予定通り面談が持たれ、息子の退職が決まりました。

この記録と一緒に見つけた画像がありました。
これは、働き始めて5か月後のものです。




これを見ただけで、会社の担当者が自閉症という障碍を全く理解していないことがわかります。
コミュニケーションに障碍があり、加えて事実しか書くことができないのにも関わらず、自分の狭い価値観だけで、全てを悪意に捉えてしまうのです。
こんなことで、いつもいつも「なぜできない!」「どうしてわからない!」と言われ続けるのは、いったいどれだけ辛いだろうか。。。
今から思えば、こんな所で働かせることに、なぜあんなに必死になっていたのか?
この3ヶ月後には、あろうことか「これまで教えられたことをまとめて書く」という宿題を出されたのでした。
2017/10/6

合理的配慮って何だろう?

たとえば、、、下駄箱から無くなった通勤用のズック。
「明日になれば出てくると思いますので…」
  そして、出て来なくても連絡はない。
「どうして無くなったのでしょうか?」
  「わかりません」
「第三者の意図的な悪意を感じますが?」
  「それはないと思います」
「だったらどうして出てこないのでしょうか?」
  「探しているのですが、申し訳ありません」

たとえば、、、Aさんとのトラブルから施設に備品を壊した。
いつもは時間が一緒にならないAさんとたまたま会ってしまい、
瞬間的に逃げたAさんを追いかけて行ったと言う。
「どうしてAさんは逃げたんでしょう?」
  「どうも苦手なようです」
「どうして苦手なんでしょうか?」
  「わかりません」
Aさん、物静かで自分から積極的に人と関わるタイプではないらしい。

たとえば、、、水筒を凹ませたうえ、腕に広範囲の内出血。
こちらから電話をかけて、初めて職員間での事情伝達を行ない、
流暢に話せるBさんからの「喧嘩になって首を絞められた」との状況を知らされる。
「どうして喧嘩になったんでしょうか?」
  「Bさんは温泉に入りたかったのに、無理矢理ジムに連れて行かれそうになったから」
同じ職場で働いていても、こんなに流暢に話せる人がいるんですね~~ウラヤマシイ。。。
どうしてそんなことをしたのか知りたいので、筆談で聞いてみる。
両面にわたるやりとりをして、やっと納得できる理由に辿りついたので、
その紙を翌日職場に持って行って、職員に渡すように言った。
  その後、何の連絡もない。

通勤用ズックはまだ見つかっていない。(4ヵ月以上前の話)
Aさんは、目立つタイプの人が嫌いらしい。(最近、別の所からもらった情報)

「どうして?」の質問に答えられず、
それに疑問を持つこともなく障碍者の支援事業所で働く人たちの、
合理的配慮って何なんだろう???

障碍者雇用

 特別支援学校の高等部を卒業し、目標としていた一般企業で働き始めた息子でしたが、トラブル続きで、本人の様子もずっと落ち着かず、結局1年4ヶ月働いて辞めました。

 高等部3年生の前期現場実習に行った職場は、とても良い感触だと勝手に思っていたのですが、職場からの評価は厳しいものでした。よくよく考えてみたらコミュニケーションに多くの問題を抱える息子に、接客業という職種が向いているはずがないと判断し、後期の実習先を探すことから始めなくてはいけなくなりました。その時から、本人にも母にも焦りがあったのだろうと思います。クラスメートや下級生たちが実習に行く中、一人だけ実習先が見つからずに1ヶ月以上を過ごし、ようやく見つかった職場でした。そして、「指定された仕事ができれば採用も検討する」と言われて、息子は2週間の実習をがんばりました。その結果、年内に採用が決まりました。年が明け、1月と2月にも1週間ずつ実習に行き、3月下旬から働き始めました。
 その時すでに、職場から言われた問題が数点。その改善のために、3月中は学校の先生が付き添って指導してくださいました。そして、そのままジョブコーチに移行できればよかったのですが、諸般の事情で、ジョブコーチが入れるのが4月中旬からとなっていました。すると、その間のたった数日間で吹き出した数々のトラブル。実習に来るだけの障碍者には優しくするけど、一緒に働く障碍者は面倒なだけ?息子は一緒に働く方々から厄介者扱いされてしまっていました。
 最初に実習で覚えたはずの仕事はやらせてもらえなくなり、次々とやる仕事が変わりました。その理由は、ミスが多い息子に仕事を任せられないというもの。その通りだと思います。でも、実習では採用できる位の仕事ができていた息子が、なぜミスを多発するようになったのか?その原因は職場環境にあったと思うのです。

 雇用され働き始めた時、すでにあった問題を改善するためという理由で、午前中は実習中にはしていなかった仕事をすることになりました。そこの持ち場を仕切っていたのが、ベテランの嘱託雇用の年配者だったのですが、その場で口頭のみの指示を次々と出す方でした。3月に支援に入ってくれた学校の先生も4月から入ったジョブコーチも、その指示では息子が全く理解できないと思ったそうです。そして、それを伝えてくれたのですが、「そんなこと知らん。わしはわしのやり方でやる。」と言って、息子への対応を変えようとはしてもらえませんでした。そして、息子は「指示通りの仕事を全くできない」と評価され、意味も分からず叱られる毎日でした。
 午前中がそんな風にストレスがある環境で過ごすことになったため、午後からの、それまではできていた仕事にも影響が出てきます。ミスが重なり、何度注意されても改まらないので、とうとう採用されたはずの仕事から外されました。そして、ストレスの根源である持ち場の仕事が残ることになった為、ジョブコーチが職場の担当者と話し合い、息子が一人でできる仕事を探してくれました。もう一つ、息子が声をかけられるだけで落ち着かなくなってしまう嘱託のベテラン職員からは、指示を出さないようにして欲しいと話してくれました。
 それから少しの間は落ち着いてきた様子も見られたのですが、慣れてくると出てくる障碍特性・・・『暗黙のルールがわからない』『勝手に俺ルールを作る』、それを職場は理解しない。問題を持ち帰る度にジョブコーチに連絡して、相談して、知恵を出し合って、本人の行動を改めさせる。その繰り返しでしたが、職場での注意はなくなることはありませんでした。それは、息子の問題行動を引き起こしている根本の原因が改善されていないからでした。根本の原因とは、自閉症の息子にとって落ち着いていられる環境ではないこと。息子の障碍特性を理解してくれる人が職場にいないこと。どれだけ言葉を尽くして話しても、理解してもらえませんでした。問題行動をなくすための数々の提案も、そのほとんどが「できない」と拒否されました。

 半年後、とうとう糸が切れました。仕事から帰って来た息子が「もう辞めます。」と言います。何があったの?息子に聞いてもわかりません。職場に電話しましたが、「何もありません。」と言います。そんなはずない!でも、親からそれ以上は聞けませんでした。
 ジョブコーチに息子の様子を連絡して、職場に聞き取りに行ってもらいました。その日、何かがあって、例の嘱託職員から注意された息子が、嘱託職員に向かって「うるさい!」と怒鳴ったそうです。息子が怒鳴る?親の欲目でもなんでもなく、息子が怒鳴るなんて想像もできません。そう言わずにいられない程の不快な関わり方があったことは間違いないと思われます。でも、責められたのは息子だけ・・・職場は自分たちの対応を変えるつもりはない・・・息子の我慢が限界を越えたんだと思いました。

 母は自分を責めました。息子に一般就労をさせたいと決めたのは母。そのために息子を頑張らせたのも母。息子がそうしたいって言ったわけじゃない。それが叶ってみたら、あまりにも辛い現実が待っていました。それは、息子の笑顔を奪っていきました。母が何よりも守ってやりたいとずっとずっと一番大事にしてきたはずの笑顔が消えて、辛そうな顔の息子が目の前にいました。自分が間違っていたんだと思いました。息子に辛い想いをさせているのは自分だと思いました。どうしたら、母の大好きな笑顔が息子に戻ってくるのだろうと、それだけを考えていました。
 本人が言う通りに辞めさせようかとも思ったのですが、周りの意見は違っていました。「折角できた一般就労をそんな簡単に諦めちゃいけない。辞めるのはいつでもできる。」そして、ジョブコーチも職場と話し合ってくれ、辞めると言いながらも嫌がらずに出勤する息子に願いを託して、もう少し頑張ってみることにしました。

 パート雇用なので、毎年1月に契約更新があります。もしかしたら、そこで更新できないかもしれない。それならそれで良いか・・・と思っていたら、職場から特別何の話もなく契約書を持ち帰りました。そうか、こんなにトラブル続きでも雇用を続けてくれるのなら、いつか上手く行く時がくるのかもしれないと思ったのですが。
 契約更新の数ヶ月後、ジョブコーチに母が呼ばれ、会社側が息子に「辞めて欲しい。」と言っていることを聞かされました。理由は、「現場での息子の指導者だった嘱託職員が辞めるので、息子を指導する人間がいなくなるため」でした。“指導者だった嘱託職員”、、、ジョブコーチが息子への関わり方を変えて欲しいと話しても、それを拒否した人です。そういう関わり方しかできない人ならば、息子の担当から外して欲しいとジョブコーチが職場に伝えた人です。障碍特性を無視した関わり方ばかりをして、息子に「うるさい!」と言わせた人です。愕然としました。
 会社には何も伝わっていなかったのです。どれだけのトラブルが起こっても、悪いのは全て息子で、会社は何一つ改善しようとは思っていなかったのです。障碍者雇用をしたのに、障碍を理解しようとはしなかったのです。もうそんな会社で息子を働かせる理由は一つも無いと思いました。

 それから1年数ヶ月、職業センターでの訓練や就労移行支援事業所に通って、今息子は就労継続支援A型事業所で働いています。一般就労を完全に諦めたわけではありませんが、今は息子の障碍を理解してくれる職場で、落ち着いて働けることが最優先です。
 就活をしている間にも厳しい現実がありました。障碍者雇用といえども、一般就労をするなら、一般の人たちと同じレベルの作業を求められること。仕事の環境には、本人が合わせるしかないこと。障碍者のための職場であっても、障碍理解がないことがあること。本人も母も、多くの経験をしてやっとたどり着いた場所で、少しゆっくりしたいと思います。

 最後に、私なりに経験したことについてまとめてみました。

①困ったことだけを伝えられても、状況がわからないので、親では対処できない。
 働き始めてすぐから、次々と職場の困っていることを伝えられました。それまでなら、学校やその現場へ行って、母がその原因となることを予想して、本人の行動が改善できる方法を考えてきましたが、まさか職場に行ってそれをするわけにはいきません。そこでジョブコーチにそれをお願いしたのですが、最後まで職場からジョブコーチに改善方法を聞くことはありませんでした。

②目に見える問題行動をどれだけ解決しても、根本の原因が改善されない限り、問題はなくならない。
 これはどの世界でも氷山モデルでよく話されていることです。出てくる問題だけをいくら解決しても、根っこにある障碍特性に配慮した支援をしないと、問題はモグラ叩きのように形を変えて次々と出現します。対処療法はその場しのぎにしかならず、見えない部分に目を向けないと本当の解決はできません。

③働き続けることで、本人の不安が大きくなるばかりで、こだわりも強くなってくる。
 負の連鎖(http://jiheisyou-autism.blogspot.jp/2014/02/blog-post_25.html)は、支援をすることで一旦切れたように見えますが、執着するものを変えるだけで無くなることはありませんでした。それは、本人の不安が無くなるわけではなかったからです。そして段々と、そう簡単な支援策では改善できないこだわりとなっていきました。

④会社側の協力が得られなければ、本人の努力だけではどうにもならない。
 国が法改正をして、障碍者の雇用率を上げるだけでは、障碍者雇用の促進にはならないのです。障碍を持った人が努力して職場に合わせるのではなく、会社側がその人の持つ力を発揮できるような環境作りや障碍を理解する気持ちがないと、どちらも大変な想いをするだけです。逆に、障碍があってもその人の力を最大限に発揮できるような環境があれば、障碍者であっても重要な人材となることができるのだと思います。

 この国でも、いつかきっと、本当の意味での障碍者雇用が実現する日を信じて・・・

2014/2/28
 
 
追記
思い出したので、書いておこうと思います。
息子が辞めることが決まって、会社から「サインと押印をして」と持ち帰った退職届は、印刷済みコピー用紙の裏紙に印刷されたものでした。
怒りしか込み上げてきませんでした。

 

マナー

息子が職場から持ち帰った問題点
 
まあ、それが原因で、ドドーーーーーンと落ち込むことになったんですが、
どうしても納得できないものが一つ。
 
『人の物をすぐにくださいと言う。食堂の各テーブルで誰にでも。マナー知らずで困る』
 
息子には、小さい頃から、
自分のモノと他の人のモノを区別することを、とことん教えてきました。
 
そんな息子が、大きくなってから、誰かのモノを欲しがる様子なんて、見たことありませんでした。
 
それは、学校の先生たちも同じでした。
 
息子に、何をもらっているのか聞いたところ、「お菓子」とのこと
確かに、実習中に何度か、空のお弁当箱にお菓子の袋が入っていたことがありました。
 
そして、それは「くれた」のだと言ってました。
 
元々、遠足の時だって、お弁当は必ず完食してきても、おやつは必ず残してくるくらい、
そんなにお菓子が大好きな訳ではない息子。
 
おそらく、その実習中に「くれた」ことで、
お弁当が終わったら、お菓子をもらえるもんだと思ってしまったようです。
 
そして、黙っていても誰もくれないから、「ください」と言ってもらっていたんでしょう。
 
そう、私は息子に、
人のモノは黙って取ってはいけません。
欲しい時は、「ください」と言って、「いいよ」と言ったらもらいます。
と教えていました。
 
それを忠実に守っていた息子
 
それが、マナー知らずだと言われるなら、
自閉症の子に、どういう風に社会のマナーを教えたら良いのだろうか?
 
2011/5/3

JR事件

 これは、息子(KAT)が高等部1年の時に起きた事件です。
 当時の母の感情もそのまま伝えたいと思い、ブログ記事をそのままにしてありますが、JRの職員の皆さんには、その時もその後も大変お世話になり、感謝していることを最初にお伝えいたします。
 夕方、KATの携帯から電話が入りました。パニックになっている様子で、すぐに側にいる誰かにかわりました。
 K駅の守衛の方で、KATに守衛室に来てもらっているとのこと。「
駅のホームにいる“案内人”という女性職員の帽子を取ろうとしたり、体を触ったりという行為が、先日から何度かあり、今日もそれが見られたので、声をかけて、こちらに連れて来た。今後、このような行為がないように、家の方でもしっかり話して欲しい。お母さんの連絡先を教えて欲しい。」
 電話の向こうでは、いつもの時間の電車に乗れなくなると、KATが益々パニックになっている様子。「次の電車になっても良いですか?」と言う守衛さんに、「いつもの電車に乗れないと、もっとパニックになってしまうので、できればその電車に乗せてやってください」と伝えました。
 KATにかわってもらい、通学カバンの中に入れてある、“登下校中のカード”を渡すように言い、そのコピーを取ってもらって、とりあえず電車に乗せてもらいました。
 数分後、改めてかかってきた電話。最初に出た守衛さんは、落ち着かないKATと一緒に電車に乗り込んでくれたそうです。そして次にかわったのは、鉄道警察の方。「今度このような行為があった場合、警察に連行することになる。今回の事も報告書を提出しなければいけない。以前にも警察のやっかいになったことがあるか」・・・かなりキツイことを言われ、嫌なことを聞かれました。最後に、KATの障碍のことを話し、パニックになっている時の対応の仕方を伝えました。
 KATが帰ってきて、K駅で何があったのかと聴きましたが、出てくるのは、守衛さんの名前とその人が言ったことと、その人が母と電話で話したということだけ・・・自分が何をして注意されたのかは、全く出てこないばかりか、「悪いことはしていません」と言いました。そう、自分が守衛室に連れて行かれた理由がわかっていないのです。
 KATに鉄道警察から電話があったと言いました。どういう悪い事をしたのかを話しました。今度そんな事をしたら逮捕されると伝えました。
 以前の電車の中での女子高生への話しかけも、全くなくなった訳ではないうちに、また起こった事態。可哀想だとは思ったけれど、これは全てを禁止するしかないと判断しました。
 *女の人には話しかけない(女子高生を含む)
 *体をさわらない(腕や肩もダメ)
 *帽子を取らない(そんなことをする意味がわからない)
 この約束を守れなかったら、もう電車には乗れなくなるんだよ。そうすると、自立通学はできなくなって、学校にも行けなくなるよ。どうしたら良いのかな?・・・KATに考えさせました。
 *ホームの上で2列に並んで待つ。
 *ウロウロしないですわる。
 *静かにする。(Vol.2)
と自分で書きました。そうだね・・・何もしなければ、問題にはならないはずだよね。
 いつものようにKATと二人で夕食を食べていると、悲しくて悲しくて、涙が止まらなくなりました。「何が悪くて、何が間違っていたんだろう。自立通学は無茶だったんだろうか。KATは一般社会では生きていけないのかもしれない。」
 夜、仕事から帰ったお父さんに報告しました。「いきなり警察とは、対応がちょっと乱暴過ぎるんじゃないか」と憤慨。「もう一人で通学させれない」と言い出しました。
 後からわかったことですが、その“案内人”という女性は、数ヶ月からK駅のホームにいるそうです。ちょっと可愛らしい制服を着て立っている“案内人”は、ホームの乗客に向かって、電車の発車時刻や次の電車の案内などを、随時、誰に聞かれる訳でもなく話しています。そして、多分ですが、これまではKATが話しかけたら返事をしてくれていたんだと思います。でも、それがしつこすぎるので、無視するようになったんだと思います。KATにとっては、これまで相手をしてくれていた人が突然相手をしてくれなくなって、訳がわからなかったのでしょう。
 今後の対応は、また学校とも相談してやっていこうと思います。

 最後に親としての身勝手なことを言わせてもらえば・・・JRと言う公共の企業で、駅のホームと言ういろんな人が行きかう場所で、一般常識がきちんと伝わる相手ばかりではないことは当たり前なはずの、そういう仕事をしているわけだから、何かあった時に、すぐに連行して警察を呼ぶという対応しかできないであれば、そんなサービスやめちまえ!
2009/1/17
 土・日をはさんで月曜日、KATの下校に合わせて、担任の先生とK駅で待ち合わせました。KATがやってきて、すぐに見つかったのですが、逃げるようにして改札に入っていきました。後を追って改札を通ると、私たちよりも先に、KATを追いかけているような人がいます。ホームに行くと、すでに電車が入っていて、KATの姿はありません。
 私たちの目的は、KATの様子を見ることはもちろん、例の“案内人”の確認をしたかったので、発車時間までのしばらくの間、ホームで見ていました。最初はいなかった案内人が現れたのですが、KATが乗っていた電車の車両の前で、母と先生の様子が気になって、電車から降りたり乗ったりしているKATが、そうやって動くたびに、付けているインカムで何やら話しています。ホームを見渡すと、車両の前のエレベーターに隠れるようにして、改札からKATを追いかけていた“人”がいて、案内人とインカムで話しているようです。
 先生と「あの人たち、絶対KATを見てますよね!」と話し、私はエレベーターの陰にいる人のもとに行きました。その人は鉄道警察の方でした。自己紹介して、金曜日のことを謝罪し、その上で、「話し合いの場を持ちたい」とお願いしました。ところが、鉄道警察の人から拒否されました。
 その人からは、KATがやってしまった“犯罪行為”の説明をされ、そういう必要があるようならこちらから連絡すると言われました。
 そういう必要・・・またもう一度“犯罪行為”をしたらと言うこと?
 その時は警察に連行すると言ったのでは!?
 そうなってからでは遅いから、障碍を理解してもらって、二度と起こらないような対応をして欲しいから、話し合いたいんです!
 私はもう電車に乗らなければいけなかったので、とりあえず、「そういう行為があった時は、相手の当事者から、はっきりと「やめてください」と伝えて欲しい。最初の段階でそれを曖昧にすると、行動がエスカレートしてしまう。」と話してきました。
 その後、担任の先生からもう一度、学校側としても話し合いたいとお願いしても、「その必要はない。学校は出てこなくていい。何かあったら家に連絡する。」と言って、受け合ってもらえなかったそうです。
 警察は、犯罪を未然に防ぐ為にあるのか?
 犯罪者を捕まえる為にあるのか?
発達障碍者支援法で定められた『第4条国民の責務』
 国民は、発達障碍者の福祉について理解を深めるとともに、社会連帯の理念に基づき、発達障碍者が社会経済活動に参加しようとする努力に対し、協力するように努めなければならない。
 国民を守るべき警察は、この法律を知っているのか。。。
 昨日もKATの下校に合わせてK駅まで行き、同じ電車に乗って帰ってきました。ホームでは電車が来るまでイスに座って待ち、電車が入ったらすぐに乗り込み、母とは少し離れた座席に座り、乗り込んでくる女子高生たちを見てソワソワしながらも、立ち上がることなく、ずっと座って最寄駅まで着きました。いつもこんな風に乗ってくれたら何の問題もありません。 「今日のKATはとっても良かったよ。毎日そうしてくれると良いな。」・・・KATを信じよう。
2009/1/21
 先週、3回も下校の電車が母と一緒だったことで、かなりご立腹のKATでしたが、それは自分のやったことの代償だから・・・。
 この一週間は、それに関することで、いろんな動きがあり、今週、JRと警察と学校と母とで話し合いの場が持てることになり、それに向けての支援ツールとかを準備したりして、何か大きな進展があることを期待しています。
 私がブログに記事を書いたことや、信頼できる友人たちに話したことで、私よりも怒ってくれた方や、一緒に悲しんでくれた方、心配して何度も連絡をくれた方・・・本当に嬉しかったです。
 学校の先生方も積極的に動いてくださったり、KATには心強いサポーターがいっぱいいて、この難しい局面を、何とか乗り切れそうです。
 大変な事態でしたが、“今”起こったことが幸運だったと思い、KATにも良くない行動は改めてもらい、社会にも理解して、支援してもらえるように、凹んだ分をプラスに変えていきたいと思います。
 それにしても本当に疲れました。こういうエネルギーをこれまでも何度か使いましたが、障碍児を持った親の宿命だとしても、こういう事が一番疲れます。
2009/1/26
 先々週の金曜日に起こった大事件!それについての話し合いの場を持つことができました。
 学校の先生が2名、JRから各駅長さんやサービス担当者、警備会社の方、鉄道警察官など、総勢11名の会議となりました。
たった一人の自閉症の子がやってしまった行動が、こんなに大袈裟なことになってしまって、正直冷や汗ものです。
 きっと何年も何十年も利用することになるだろうJRに、KATのことを知ってもらうこと、理解してもらうことは、これから先の生活の中で、とても大きな力になります。サポートシートをお渡しして、たくさんお話させていただきました。
 対応の仕方など、駅の職員の方全員に周知していただけるとのことです。万全のサポート体制で見守っていただくことができそうです。本当に良かった・・・やっと少し安心できました。

 最寄駅の駅長さんからは、具体的に「こんな時はどうしたら良いのか?」など質問していただき、今現在心配している電車の中での女子高生への声かけや、駅の待合室での様子などを伝えて、「さりげない声かけをして欲しい」とお願いしました。
 今回、サポートシートに書き加えた“母からのメッセージ”
「KATは“人”が大好きです。社会性やコミュニケーションに障碍があるため、決して上手ではありませんが、人との関わりを楽しんでいます。そして、人との関わりの中で、たくさんのことを学んでいます。好ましくない行動があった時は、明確な態度で注意してください。また、見かけた時に声をかけていただければ、本人の安全につながるだけでなく、行動の抑制力も高まります。ご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、社会の力をお借りして、KATを育てていきたいと願っています。よろしくお願いします。」
先週作って、今週初めから持たせている支援ツール
自立
 ここにも書いたように、直後はただただ悲しくて、そしてショックで、もう自立通学はさせられないのか・・・と思いました。これまでも、もう少し事態は小さいとは言え、何度もこんな事があり、その度打ちのめされ、苦しみ、それでも立ち上がって進んで来ました。
 KATが頑張って、頑張って、ここまでやって来たけど、、、
どれだけ頑張っても、社会の理解がなければ、何の意味もなくなるのなら、これ以上、我慢させたり、頑張らせる必要があるんだろうか?
 無理に自立させなくても、諦めてそれなりの生活をした方が、トラブルもなく、快適なんじゃないだろうか?
 社会の理解を求める為に、KATを矢面に立たせて、これ以上傷つく必要がどこにあるんだろうか?
そんな事を何度も考えました。
 でも、そしたらこれまでやってきた事は全部無駄になる。応援してくれる人がたくさんいる。力になって一緒に動いてくれる人たちがいる。そして何より、KATがこのまま続けることを望んでいる。何としてでも、先に進むしかないと思いました。
 今日の話し合いで、KATだけではなく、自閉症・知的障碍の理解や、対応の仕方を具体的に伝えることができました。もしかしたら、こういう機会をKATが作ってくれたのかも・・・そんな風にさえ思える位の成果があったと思います。
 「雨降って地固まる」・・・話し合いが終わって教頭先生が言いました。本当に、本当に、そう思います。でも・・・できることなら、今度の雨は、我が家にではなく、別の所に降って欲しい・・・そう願わずにはいられません。
2009/1/29

教室の構造化

 つい愚痴っぽくなってしまうと思って、これまで書いてきませんでしたが、もし、これから中学校へ進学される方の、何かの参考になればと思って、KATの中学校の様子をお知らせしようかと思います。


 今年6月にあった『職場体験』で、KATは出身小学校に2日間お世話になりました。半日だけ、私が担任の先生の代わりに付き添いに行った時、6年生の担任だった先生と話する機会がありました。そして聞かれました・・・「どうして、中学校の教室は今でもあのまんまなんですか?」

 KATが中学一年生になってすぐの頃、中学校の特学の教室を見た時は、ほとんど何もない状態(今でもそうですが、学習スペースをパーテーションで囲んであるだけ)だったそうなのですが、それは「まだ始まったばかりだし…」と思っていらしたそうです。ところが、その一年後にもう一度見た時、ほとんど何も変わっていなかったのに驚いていらしたのです。
 その先生は、中学校への引継ぎを本当に一生懸命やってくださいました。教室の構造化に関しては、見取り図を作成し、全体の写真に加えて、各スペース毎の写真も付けて、資料を準備してくださいました。それを私に見せてくださった時、先生と二人で「ここまで知らせて、何もしないってことは有り得ないですよね。そうなったら、(良識を)疑いますよね!」と話していました。そして今、それが現実になっています。
 中学校の担任の先生(一年生の)が決まった時、小学校のその先生は資料を持って中学校に出向き、直接渡してくださっているはずです。そして、KATにはどんな支援が必要なのか?有効なのか?を話してくださっています。ところが、それらはほとんどが何も実行されていないのです。小学校の先生にしたら、強い疑問を感じたことだと思います。

 私も中学校の先生に何度もお願いしました。「この教室をスペース毎に区切ってください。」・・・何度お願いしても、いつまで待っても変わる様子がないので、“せめて遊びのスペースだけでも”と思い、パズル式のシステムカーペットを自腹で購入して、冬休み明けに持たせました。そして、そのたった一畳のカーペットの上で、そこからはみ出さないように楽しそうに遊んでいるKATの姿を見ました。
 以前「遊びのスペースを作ってください。」とお願いした時、担任の先生は「イヤ、あまりこの教室では遊ばないので」と言われました。違うんです!『遊ばない』んじゃなくて、『遊べない』んです!!それでもわかってもらえるはずはありませんでした。その後、あるきっかけでそのカーペットが四畳に増えた(中学校の費用で♪)のですが、「そのスペースを余っているロッカーで囲んで欲しい。」という私の願いは、保健室に余っているカーテン型の仕切りに変わりました。(今から思えば、その時「それでもいいです。」と言わなければ良かったと思います。でも、あの時は「とにかく何でもいいから仕切って欲しい」という思いの方が強かったのです。)

 今、KATのいる特学はそれだけしかない、とても閑散とした教室です。そこで過ごせているKATがスゴイ!と日々感心しています。最初の小学校の先生からの問いかけへの私の答えは、「それは、KATがそれでも落ち着いて過ごせてしまっているからです。」
 「しなくても大丈夫なら、する必要はないでしょう!」・・・きっとそれが中学校側の考え方です。小学校の先生方や私が思う、『より過ごし易い環境作り』という考えは一切なさそうです。
 それでも、私が要求した「特学でもしっかり勉強を!」していただいています。そして、KATは中学校が大好きで、毎日楽しく通っています。だから、『それ以上』はもういい!と思うことにしました。でも、そんなKATにとってあまり快適ではない環境でも、そうやって落ち着いて過ごせているのは、間違いなく小学校の先生方がその力をつけてくださっていたからなのです。申し訳ないですが、中学校の先生方の力ではない!と私には断言できます。。。

わく・ワーク

 KATはこれまでずっと、幼稚園・小学校・中学校と地域の学校(園)へ通っています。ということは、当然ですが、そこは障碍を持った子のための施設ではありません。それでも私は、「こうして欲しい」という親としての希望を最大限伝えてきました。最初から「そんな事してくれるはずがない」と諦めて伝えることさえしないと、こちらが求めるものは何も手に入らないと思うので、伝えるだけ伝えて、できるかできないかは先方に考えていただくことにしてきました。もちろん、断られることもありましたが、それはそれで受け入れ、それでも何か良い方法はないものかと考えていくようにしています。

 県内の全中学2年生は『職場体験』が授業の一環として行われます。KATはその5日間を来月に控え、行き先の職場を決める段階に来ています。障碍のあるKATは、他の生徒たちと同じように、単に職場を決めて、そこで与えられた仕事をして・・・というのが難しいのは当然なので、親として、職場が決まったらそこに出向いて、KATのことを伝えたり(サポートシートと名刺を準備)、仕事の内容などを聞いて、スケジュールや手順書を作成して持たせたい・・・とか勝手に思っていました。
 先日、学校の方から職場の提案があり、“市内の知的障碍者の作業所にもう一人の特学在籍の子と二人で行かないか”というものでした。そして私は「それはやめて欲しい」と返事してしまいました。理由はいくつかありますが、KATが障碍を持つ方の突飛な行動を苦手としている事と、もう一人の特学の子とあまり良い関係ではない事が大きな理由です。親としてそれを考えた時、5日間という長い時間を、決して落ち着ける環境ではない中でその子と二人で活動することに、どうしても「Yes」と言えませんでした。
 もし、私が「No」と言わなければ、その方向ですんなり決まり、学校としてはとても助かったのだと思います。ところが、決めるものも決められない大変な状況になってしまったようでした。学校へ話し合いに行きました。そして言われました。「どうしたいんですか?」「誰とならいいんですか?」「(KATは)何ができるんですか?」・・・当然です。学校側にしたら、私の言っていることは単なる親のわがままなのでしょう。そして、私が勝手に思っていた準備のいろいろも「それはお母さんがやることではありません。学校と受け入れた職場がやることです。」と言われてしまいました。『スケジュールや手順書があればできること』は『スケジュールや手順書がなければできないこと』なのだと、一般社会では当然そうなんだ!という事を痛感せずにいられませんでした。
 これまでもいろんな修羅場(?)を経験してきているので、そんなことで怯む私ではありません。そして、先生方もKATに職場体験させるために、一生懸命考えてくれているのもわかります。お互い受け入れられることは譲歩しながら、長い5日間を二つに分けて“一般の職場で数日、障碍者の施設で数日”ということで何とかできないか、探していただくことにお願いしてきました。実はこの両方を経験する事が親としての一番の希望であり、KATにとって一番良い体験になるのではないかと思っています。
 しかし、そのせいで、先生方の仕事を大幅に増やしてしまったことは間違いないようで、ものすごく迷惑をかけてしまっているようです。でも、いつも何かあったら相談にのってもらっている先輩お母さんから言われました。「我が子のことだけを考えていろいろ言えるのは親しかいないのだから・・・」その言葉で少し救われました。



 KATの職場体験は知的障碍の方の作業所で3日間と卒業した小学校で2日間に決まりました!こちらの希望通りに決まったのはとても嬉しいのですが、実はその連絡がありませんでした。・・・これまでの私の常識(?)では、「こんな風に決まりました。」と何らかの連絡があるものだと思っていました。だって、毎日連絡帳をやり取りしている訳ですから・・・でも、なかった。ある日持ち帰った“学年便り”なるものに、「職場体験の事業先も決まり、生徒たちには伝えました。」と書いてあります。多分、生徒たち=KATには伝えたのでしょう。でも、ちょっと考えてください!コミュニケーションに障碍がある子なんですよ。自分のことですら、上手く話すことができない子なんですよ。ましてや、親を呼んでそのことについて話し合ったのではないですか!?どうして、親に連絡がないのでしょう???不親切にもほどがあると思いませんか!!まあそんな気持ちは横に置いて、私の方から連絡帳を通して確認しました。

 そして昨夜、特学の担任から電話がありました。「KATくんの職場体験ですが、作業所の方へ行く時はどうしましょうか?」言葉は違いますが、まあそういう内容でした。小学校の方は歩いて5分の場所なので問題ないのですが、作業所の方は車で5分強、自転車で15分位かかるでしょうか。一般の中学生は、30分位はかかっても自転車で行きます。私も少し前から、そのことを考えないでもなかったのですが、なんにせ“授業の一環だから親は何もしなくていい”らしいので、聞こうとも思いませんでした。
 昨夜の電話・・・「授業の一環でしたら、学校の方で何とかしてください!」と言っても良かったのかもしれません。でも、私は大人ですから、そんなことは言いません・・・困るのはKATですから・・・「一度自転車で行く練習をしてみます。その上で行けるかどうか判断して、無理なようだったら私の方で送ります。」とお返事しました。電話を切って思ったこと・・・そういう練習をさせるのが、特学の役目なんじゃないの!?!?でも、先生はそういう発想すらないようでした。
 職場体験が今月末です。それまで、KATと一緒に練習できるのは土・日だけなので、4日しかありません。その日に雨が降ってしまったらアウトです。どうなるかわかりませんが、やるだけのことはやってみようと思っています。

 
 
 今朝、7:50に自転車で出発しました!事業所には8:20前後に到着すればいいとことで、20分弱かかるので、8:00頃に家を出ればいいのですが、そこはKATのこと・・・早く行きたい!のです。7:30から「いってきます♪」と言うのを、なんとか7:50まで待機させました。
 8:00になり「まだ着いてないよね」と思い、8:20頃に「もう着いているよね」と思い、8:40になって「何も連絡がないということは、ちゃんと到着できたんだよね」と思いました。いつもですが、初めての体験をさせる時は、KATより私の方がドキドキです。どれだけの準備をしても・・・。
 今日の天気予報は午後から雨・・・カッパを持たせたので、大丈夫でしょう。明日と明後日も雨が降る、ぐずついた天気になるようです。さすがにどしゃ降りだったら、車で送るしかないでしょうが、多少の雨なら自転車で行かそうと思っています。
 ガンバレ!KAT!!・・・やる前から「できない」ことを決め付ける人たちに、「こうすればできる!」ことを見せつけてやろう♪